由布院に泊まって翌日の予定は、高速で少し戻って太宰府に向かうため七時ぐらいには出発です。
いやぁとうとう九州入りです。
さてここはどこでしょうか?太宰府の天満宮の社の隣にある樟です。あまりにも大きかったので思わず撮ってしまいました。
それにしても太宰府インターから、看板が少なすぎる。
東京だと地図がなくてもどこにでも大体行けるが、今回の旅で感じたのは、看板少な!!と言う事です。資金がなかったのですが、あまりの事でとうとう太宰府で地図を購入してしまいました。
この写真をとった時もそうなんですが、雨降ってます。
太宰府政庁跡を通ったのですが、ものすごくいい感じでした。ただ、今日一日で熊本も周って鹿児島入りしなければならないので断念しました。太宰府ももう一度行きたいと思います(特に政庁跡)
天満宮です。
太鼓橋をおっかなびっくり渡って到着しました。
防府天満宮とやはり似てます。
北野天満宮は、行った事が無いので解りませんが。
餅食べて太宰府を後にしました。
観光客が雨なのにいっぱいいました。
植木インターで降りて、一路田原坂へ。
流れ的には官軍コース?になるのかなぁ
車で通った感じだと確かに、昔は重要な道路だったような気がする作りでした。この後田原坂から熊本に向かったのですが、やはりこの道しか昔は大砲を引けなかったと言うのはわかる感じの道でした。(寂れ具合も)
ところでこれは田原坂の頂上にある弾痕の家です。
大砲やら鉄砲やらの弾痕だらけです。
中は資料館みたいになっていてけっこう見れます。
この日は普通に公園として花見客とかいました。
雨もやんでよい感じになってきました。
田原坂公園の看板と、馬上の美少年像です。
ドラマ田原坂では、野村宏伸が演じていました。
雨は降る降る じんばは濡れる 越すに越されぬ 田原坂 右手に血刀 左手に手綱馬上ゆたかに 美少年 山にしかばね 川に血流る肥薩の天地 秋さびし
という歌の美少年の像です。
田原坂の頂上からみた坂です。
この坂を巡って官軍、薩摩軍が激戦を繰り広げました。
会津の抜刀隊もこの戦い辺りからいよいよ参戦しました
植木、木葉では乃木希典が負けに負けて御旗を薩摩に取られました。
これも乃木大将の殉死の理由の一つです。
この辺からは未だに薬きょうが発見される事があると言う事だったのでちょっぴり掘ってみましたが、まぁありませんでした。どうですかね、田原坂でこの場所が一番西南戦争の匂いがしました。あとは、ただの裏道って感じでした。
一の坂・二の坂・三の坂です。狭い道に車停めて撮りました。二の坂の写真を見れば解るように、けっこう車通るンですよね。ご迷惑おかけしました
それでいよいよ、念願の熊本入りです。
とにかく熊本城は予想通りとっても良い感じでした。
なんだか熊本の人にまだまだ愛されてると言うか、親しまれている感じがしました。城の公園が一面芝生になっていてみんながキャッチボールやサッカーをしていました。いやはやほんとになんだか良い感じでした。
一万円で城主になれると言うのをやっていたのですが、資金的に断念しました。残念この上なし!
旧細川邸から現在細川邸、宮本武蔵が晩年過ごしたことからその旧跡等いっぱい見所はありそうでしたが、とにかく熊本城が見れてうれしかったです。(改装中だったためビニールシートが目に付きましたが)
それではいよいよ鹿児島に行きましょう。

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